サンシャイン牧場

このところMIXIのアプリ、サンシャイン牧場にはまっている。アプリと言っても要するにゲーム。牧場で作物を育てたり動物を飼ったりする。日に2〜3回、平均15分程度アクセスしている。なぜアクセスしてしまうかというと、マイミクが作物の成長を促してくれたり、出来た作物を収穫していったりするからである。ブログを書かないときには、MIXIの足跡はあまりチェックしないのだが、このゲームだと、マイミクさんが畑になにか変化を作ってくれるので、つい見てしまう。

私のマイミクは直接会って顔のわかっている人たちなので、仕事もわかっている人が多い。だから、マイミクさんの畑を見て、「仕事中になにやってんの」とか、「友達多いんだなあ」とか、「あ、家に帰ってきたんだな」とか思ったりする。タイミングが合うと、こちらがマイミクさんの作物の成長を促した数分後に、お返しが帰ってくることがある。するとまたこちらから畑に訪問したりして。

相手の姿がなんとなく想像できると同時に、ほったらかしておいても良い緩さがある。だからメッセージ機能があっても、全く使っていない。

いままで、携帯を手放せない人、オンラインゲームにはまる人、ツイッターでつぶやく人たちを見て、そんなにつながりたいのは心の病気に違いないと思っていたが、これもありかな、と思うようになった。

ゲームの先にあるのは「気配」なのだと思う。相手のメッセージにきちんと答える義務もない、なんとなく近くにいる感じ。緩いながらも、頻度が高く繰り返されるやりとり。ここが味噌なのではないだろうか。ごく小さいけれど頻度が高ければ、頭に残る。何度もその人のことを思い出す。そのことで、その人への親近感が増し、久しぶりにあったときでも、今朝の気分まで共にしていたように思えてしまう。

五感を伴わないからと、少々疑問を持って見ていたネット上の交流ツールだが、メッセージにはきちんと応えなくては、という常識を捨てれば、気持ちを乗せるツールになりそうだ。

きちんと伝えようとして文章化すると、かえっていろいろな意味に深読みできてしまって、それを修正するためにさらに長文になり、どう書くか悩むことになる。そうではなく、普段からの気配のやりとりで、互いの距離間を縮めておく。そんな方法もいいかもしれない。長文に悩むより、かえってストレスは少なそうだ。

私はここにいるよ。時々あなたのことを思いだしているよ。きっとそんなやりとりなのだ。もうしばらく続けてみようと思う。